愛おしくってごめんね

ぷかぷかオタクのひとりごと

彼らのように生きていきたい

きみは賢くて難しい話ができるから嫌、と言われたことがある。

女の子はおてんばでちょっと抜けてる方がいいよ、と。

 

知らんがな!と今なら言えるけれど、今よりすこし幼かったそのときの私は、何も言えずに静かに涙をこらえることしかできなかった。

 

そんな時、テレビに映った彼らを観た。真っ直ぐな眼差しで憧れの先輩について語る彼らを見て、うらやましいなあ、と思った。

私もあんな風に生きていきたい、と思った。



男性アイドルは死ぬまでアイドルでいられる。アイドルのままいろんなことに挑戦できる。でも女性アイドルは若いうちしかアイドルでいられない。“少女”でなくなった瞬間に、もしくは新しいことに挑戦したい時にはアイドルを卒業しなければならない。

 

私は元々ハロプロが好きだった。同世代の女の子たちが汗水飛ばしながらキラキラと歌って踊る姿は学校という狭い世界で生きる私にとって憧れそのものだった。でも、彼女たちは25歳でステージを降りてしまう。それが祝福すべき、されるべき選択だと頭では分かっていても、それが彼女らの“旬”の終わりだと突きつけられているようで、私の“旬”も同じように終わっていくのだと言われているようで、なんとも形容しがたい苦しさに呑み込まれる日もあった。メンバーが卒業しても新メンバーが加入してグループは続いていくそのシステムも、露出の多い衣装も、一人ひとりの個性よりも“少女”であることを求められているように見えた。

 

男性アイドルは死ぬまでアイドルでいられる。自分の信念を貫き通せる環境がある。

男性アイドルグループは、メンバーが脱退することはあれど新メンバーが加入することはほとんどない。そのグループが結成されて時間が経てば経つほどなおさらだ。それは、彼らがそのグループの構成員としてだけでなく唯一無二の存在として認められているからだと私は思う。メンバー個人の色が合わさったものがグループの色であり、その順序が前後することはない。彼らあってのグループなのだ。

 

ああ、どうか私も、そんな風に存在していたい。曲げずに憧れを追いかけて、信念を貫いて、ひとりの人間、唯一無二の私として生きていきたい。いくら嫌味を言われても、賢くいたいし、難しい話だってしたい。そもそも、そんなことを言ってくる人はこっちから願い下げだ。私は会いたい人と会って、好きなものを好きと言って、できれば誰かを笑顔にしていたい。誰かと笑顔でいたい。

 

彼らは強い。どんな逆境に立たされようと、どんなことを言われようと逃げずに前を向いて立ち向かっていく。泥臭く、地を這ってでも進んでいくその姿は、あの頃より幾分か大人になった私の憧れそのものだ。そのがむしゃらさ、アツさが、女性である私を奮い立たせてくれる。女だからと無条件に押しつけられる役割や価値観から足掻こうと思える。“少女”でないと価値がないというような無意識の檻から抜け出す力が湧いてくる。彼らにアイドルとしてのタイムリミットがないように、私の旬にもタイムリミットなどないのだ。

 

私は、彼らのように生きていきたい。

 

みのりのる

「愛してるわ」と言え!

私の学生生活はアイドルとともにあった。

 

ジャニーズ、ハロプロ、スタダ、ディアステ、日プ2…男女問わず、いつも何かしらのアイドルグループを応援していた。アイドルに救われていた。悲しいかな、今はもう応援していないグループもあるし、曲は聞くけれど新メンバーの顔も名前もわからないようなグループもある。でも、そのグループを好きだった頃の気持ちは今でも思い出せるし、曲を聞くだけであの頃の記憶がよみがえってくる。

私は、彼らを愛していたと胸を張って言える。

 

「推しは推せる時に推せ」という言葉がもう十分浸透してきた(そしてそう再認識する出来事の多い)今日この頃だけれど、SNSの発達やそれにともなう「モノ言うファン」の増加で「推しを推す」ことのハードルは年々高くなっているように思う。

でも私は、そのアイドルを「好き」だと思った瞬間から人は「ファン」になるのだと思っている。誕生日を知らなくても、身長を知らなくても、そのアイドルが好きならもうファンなのだ。

 

アイドルは偉大だ。日常を生きている私たちに、非日常を届けてくれる。つまらない毎日に笑顔をくれる。彼らはよく「ファンのみんなから勇気や力をもらっている」と言うが、こちら側からすれば、当たり前だけれどやはり彼らから勇気や力をもらっているのはファンの方だと思う。ただ公園で走って遊んでいたような子がひょんなことから芸能界に飛び込んでアイドルに成長していく姿は、私に非日常、あるいは異世界のきらめきを感じさせてくれるし、かつ一般人として生きていくはずだった世界線の存在を影に感じて、えもいえぬ儚さに今彼らが私の認識できる範囲にいる喜びをひしと感じる。彼らの存在自体が私の人生に活力を与えているし、彼らが勇気を出してアイドルになったという選択が、私の人生に大きな影響を与えているのだ。

 

アイドルは、最初からアイドルだったわけじゃない。私と同じように、家でカレーが出ると嬉しくて、公園で遊ぶのがまあまあ好きで、ミニトマトはあんまり好きじゃなくて、習い事に行くのをめんどくさがるようなよくいる子供だったかもしれない。そんなふつうの子が、何らかのきっかけでアイドルを目指し日々奮闘している。不安じゃないわけがない。いくら自分の意思でアイドルになると決めたとしても、ステージから見える観客の表情、SNSに流れるコメント、全てが自分に向かう矢に見えるはずだ。

 

だから私は、「愛してる」と言う。「好きだよ」と言う。何百何千回だって、懲りずに言う。

 

アイドルに限らず、人はいついなくなってしまうかわからない。住む場所が変わったり、仕事を変えたり、命を落としてしまったり…そして私も、いつこの世からいなくなってしまうかわからない。いつ指が動かなくなるか、声が出なくなるか、ものを考えられなくなるかわからない。だから今、私の声が彼らに届くうちに、愛を伝えたいのだ。



彼らがアイドルとしても、ひとりの人間としても愛にあふれた人生を送れるように願っている。夢も恋も、両方手に入れて欲しい。きっと私の愛する人なら、何があろうと自分のパフォーマンスをおろそかにしない。ステージの上でキラキラと輝きながら、愛するファンに向けて歌ってくれるだろう。



最高の人生にしなきゃ勿体ないね、と。





みのりのる

 

この記事はJuice=Juiceの楽曲にインスピレーションを受けて執筆しました。ちゃんさんが原点かつ頂点。

Juice=Juice『ロマンスの途中』

youtu.be

Juice=Juice『伊達じゃないようちの人生は』

youtu.be

放つ、送る

こんにちは。みのりのるです。

 

本日11/23をもって、正式に部活動(放送部)を引退しました。

備忘録として、ここに今の気持ちを書き連ねておきます。

 

私が放送と出会ったのは小学生の頃でした。

放送委員会に入って、お昼の放送が楽しくて楽しくて仕方なくて、自分でなぞなぞを作って出題するコーナーを企画したり。先生や友達に褒められるのが嬉しくて、週に一度の当番の日は絶対に休みませんでした。

中学校ではじゃんけんに負け続けて万年図書委員でしたが、文化祭では実行委員として司会をしていました。弁論大会にも出場し、褒められて伸びるタイプの私は、もっと上手くなってもっと褒められたい!と、間やトーン、語尾の置き方などをこの頃から工夫していたような気がします。

 

そして高校に入学し、放送部に入部しました。

素敵な先輩や同輩、後輩に恵まれて、ドラマを作ったり出演したり、朗読では全国大会に2度出場し、とうきょう総文には出場だけでなく部門別実行委員長として運営にも携わったり…高校でやりたかったこと、高校でできるなんて予想もしていなかったことを、放送部がすべて叶えてくれました。ここで出会った人や言葉が、いつも私を肯定し、励ましてくれています。広い広い表現という夜空を漂っていたわたしを、つかまえて、みちびいて、照らしてくれたものたちがたくさんあります。



放送部は、なんでもできる場所です。

アナウンス、朗読、ドキュメント、ドラマという部門の中で、歌ってもいいし、踊ってもいいし、コントしてもいいし、コスプレしてもいい。なんでもできるんです。表現は自由だから。

 

でも、だからこそ難しい。

 

人は自由を求めるけれど、さあ自由だと言われると何をしていいかわからなくなる。制限が何もないということは手がかりが何もないということだから。けれどその中で淡く光るひとつの星を見つけられた時、自分の中で表現の満天が広がるのです。ひとたび光を掴むことができれば、そこにはあなただけの世界が広がっている。そしてその満天の星空の中にいるとき、あなたもまた誰かを照らす星であるのだと、私は信じています。



放送は、「放つ、送る」と書きます。その字の通り、放送は聞き手である視聴者に情報や想いを「投げかける」ことしかできません。視聴者が投げかけられた想いを受け取るかどうかの意思決定に、制作者や読み手が関与することはできないのです。でも、それでも、制作者や読み手は「この想いを絶対に届けるんだ」と思いながら放送しています。私は、放送において一番大切なことはこの強い意志を持つことだと思っています。「伝わって欲しい」「伝わるといいな」という願望ではなく、「自分の手で、声で、相手の目の前まで伝えにいく」という気持ちがあってこそ人の心を動かすことができる。これは、周りとコミュニケーションを取りながら生きていく人間としても忘れたくない考え方だと思っています。



今日で私の放送部人生は終わりを迎えます。あっという間だったなあというのが正直な気持ちで、でももっとやりたかったかと聞かれるといや、これで十分だなあとも思います。とにかく「やりきった」放送部人生でした。

これから放送に携わるすべての高校生に、自分だけの表現の満天が待ち受けていることを願って。

 

みのりのる

 



3年間の朗読本リスト

1年高文祭 風が強く吹いている / 三浦しをん

2年Nコン 日日是好日 お茶が教えてくれた15の幸せ / 森下典子

2年高文祭 処女のまま死ぬやつなんていない、みんな世の中にやられちまうからな / 葵遼太

3年Nコン あのころ / さくらももこ

3年総文祭 真夜中乙女戦争 / F

3年高文祭 汝、星のごとく / 凪良ゆう